小池糀店の味噌玉製法 山間地の知恵とおいしさを守り伝えたい
2024.11.06

小池糀店の味噌玉製法

小池糀店の味噌玉製法

小池糀店の味噌玉製法 山間地の知恵とおいしさを守り伝えたい
2024.11.06

本業の傍ら、ヴァイオリンをオーケストラで演奏されているという「小池糀店」の唐沢裕之さん(写真左)。町の文化ホールで20年以上行われているという合唱団のコンサートのチラシには、指揮者としてお名前が。発酵と音楽に何か関係が?と尋ねると、「いえ、全くないですね」とあっさり笑うも、老舗味噌蔵を守ってこられた工場長らしいテキパキとした物言いに、どこか優雅な雰囲気が漂います。

明治12年創業の「小池糀店」をお兄さんの尚之さんと共に継いでから、今年で25年。「味噌玉製法」という日本の山間部を中心に継承されてきた珍しい製法での味噌を中心に、糀調味料や甘酒、お煎餅などこだわりの商品が店内に並びます。

「食べて行ってください」と振る舞ってくださった、味噌を塗っただけのおにぎりの旨みに圧倒されながら、「モノがなかった昔の人びとにとって、これがどれほどご馳走だったことだろう」と、しばしそんなことを話し合う取材チーム。その濃厚な味噌の風味は、これまで食べてきた味噌のイメージが少し変わるような驚きのおいしさがありました。

「味噌玉製法」によってつくられたお味噌には、チーズのような独特の香りがあります。大豆を蒸し、潰して固めた「味噌玉」を室に放置すると、表面にカビ、内側にさまざまな種類の微生物が繁殖し、それによりゆっくり時間をかけて大豆が分解発酵します。その中に、「酪酸菌」という菌が生息していることが研究により発見。絶対嫌気性の菌(空気に触れると死ぬ)と言われ、固く押し固められた「味噌玉」の中でのみ生息できるもの。これが、チーズのような濃厚な風味の正体です。この「酪酸菌」は、腸内フローラを健康に保つのに非常に良いとされています。

このような製法で味噌づくりをしている味噌蔵は、現在全国で10軒にも満たないと言われます。昔は、味噌玉製法が木曽の枕詞と言われるほどに、各家庭でもこの製法が定着していましたが、現在もやっているところは唐沢さんの知る限りでも5本の指におさまるほどになりました。 昔の家庭は味噌玉をござの上に並べて放置し、カビが生えたら一晩水に浸けておき、翌日潰して仕込みます。しかし、ここまでに約2週間ほど。この時までに味噌玉はかちんこちんに固まっており、仕込みの前に味噌玉を杵と臼で叩き潰す作業が大変な力仕事で、それでお年寄りはやめてしまうのだそうです。

そもそも、なぜこんなに大変で手のかかる作り方が伝承されたのか。それは山間部の厳しさを生き抜くための知恵でもありました。起源を遡れば平安時代からとも言われ、韓国から常滑に入り、八丁味噌と枝分かれして山間地に伝播していったとされています。米がとれない山の暮らしでは、糀をつくるなどといった贅沢な米の使い方はできません。味噌玉を使えば、糀由来の酵素に頼らずとも、カビ由来の酵素で発酵が進められ、原料も大豆と水と塩のみで味噌がつくれるというわけです。

戦後以降は米糀を混ぜてつくるのが主流となり、「小池糀店」でも三日かけて丁寧に手づくりした米糀を使っていますが、味噌玉製法だけは創業以来変えません。味噌玉の表面のカビは高圧洗浄機で洗い落とし、固い味噌玉は粉砕機で細かく。新しい技術を取り入れ、効率化しながら、変わらない味を保っています。 手間暇をかけて仕込んだ味噌樽は、木曽駒高原の冷涼な環境で2年間寝かせ、ゆっくりと発酵させます。独特の風味と深い味わいは、こうしてでき上がるのです。

なんと言っても、「おいしいが一番」という唐沢さん。いくら健康に良くても、おいしくないと意味がない。おいしいものをつくり続けたい。大豆は煮ると旨みが逃げるので必ず蒸すようにし、繊細な糀づくりは丁寧な手作業で。味噌にも糀にも、こだわりが滲む「小池糀店」は、いにしえからの木曽の味を今に届けるものづくりの場でした。

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